99th HAKONE EKIDEN Memories of Komazawa

2023.01.04 Wednesday

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    今年も2日、3日と早朝5時50分の箱根直前情報から箱根駅伝放送終了まで第99回箱根駅伝を熱心にTV観戦していた。

    駒沢と青山の二強に中央、國學院が絡む混戦の結果は戦前の予想通り駒澤大学が2年ぶり8回目の総合優勝と大学駅伝三冠で大八木監督の監督勇退に花を添えた。

     

    平成の常勝軍団と言われた駒沢も、ここ数年は青学の台頭により箱根ではなかなか勝てない年が続いていた。青学の原監督が再び駒沢が強くなった最大の要因は大八木監督が変わったからだと言っていた。

    次期監督、藤田敦(現駒沢ヘッドコーチ)は自身が駒沢の選手時代は監督に意見することも、意見しようとも思わなかったと言うくらいに大八木監督は絶対的な存在であった。

     

    Z世代という新人類に触れた大八木監督は、今までのように上から一辺倒な垂直指導では選手は育たない事を肌で感じ、自ら選手に歩みより選手目線で一緒に話し合ったり、時に風呂に入ったりのスキンシップで選手をより理解しようと自らを変えていったそうである。

    数年前までの近寄り難い監督も、鬼のような形相から穏やかな表情に変わってきたようにも見える。

    大八木監督がよく選手の事について話すとき、子供たち...と表現することからも選手に対する深い愛情を伺い知る事ができる。

     

    大八木監督は駒沢大学の駅伝選手として60回大会(1984年)5区で区間賞、61回大会では2区で区間5位、62回大会2区で区間賞を取った名選手でもあった。63回大会は28歳以下という年齢制限で出場ができなかった。大八木監督は高校から実業団を経て、どうしても箱根駅伝が走りたくて24歳で駒沢の夜間に入学し、昼間は川崎市役所で働きながら選手を続けた苦労人でもあった。

     

    私が在学中、60回と61回に大八木監督が選手として箱根を走った事は朧気に覚えているが、当時の駒沢は箱根駅伝出場校の中ではシード権狙い程度の位置付けで、どちらかと言うと東都大学野球の名門として何度も全国大学野球で優勝するなどしていたため神宮球場には度々応援に行っていた。

    箱根駅伝を真剣に観戦するようになったのは、次期、駒沢大学駅伝監督の藤田敦が1996~1999年に活躍し2000年に駒沢が箱根駅伝で初優勝したくらいからだ。

     

     

    大八木監督は今春から総監督となり、藤田新監督体制のもと新たな令和の常勝軍団ヒストリーが幕開ける。

    TV観戦しながらまるで一緒に走っているような気分でワクワク、ドキドキ、新たな駒沢を応援していく。☺

     

    第99回箱根駅伝 10区青柿選手を出迎える大八木弘明.駒沢大学駅伝監督

     

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