心のエネルギー循環(利己と利他)3・・・感性を磨く18
2016.06.02 Thursday
前回に引き続き心の入力と出力、エネルギーバランスについて考察していこうと思います。
前回、常日頃から自分自身の心を見つめ客観していく内観が、心の入力と出力バランスの崩れが起きていないかを気づかせ、修正しコントロールする原動力となると述べました。
理由は、内面(心)は自分自身にしか分からないため、自分が(我)というエゴを通し主観的に判断してしまうためです。
主観(自我)を通すことで偏狭な見方しかできず、自身の心の状態も質も判断する事が難しくなってしまいます。
このため、自己の内面(心)を観察・客観していくことが自身の心の状態や質、心のバランスを知る大切な要素となります。
自分の内面(心)をありのままに観察・客観することは、ありのままの自分を受け入れることになります。
この時、バランスのウェイトが入力に傾き(自己観察)、自己受容しないと自己否定感が強くなっていきます。(自虐的状態)
逆に出力のウェイトが大きくなり、自身のありのままを見ずに自己保存ばかりに囚われると利己的になっていきます。(我田引水)
他者をよく観察し客観することは、他者を理解し受容することになります。
この時、バランスのウェイトが入力に傾き(他者観察)、他者を受容しようとしないと他者に批判的になっていきます。
これは多くの人が抱いている心理作用でもあります。(頭の上の蝿を追え状態)
逆に出力のウェイトが大きくなると、他者を観察もせず理解しようともせずに他者を支配しようとする心理作用が働きだします。(唯我独尊状態)
”利他”とはどのような心理が原動力となって構築されているのでしょうか?
利他心・・・自分の利害はさておき、他人に利益となるよう図る心。↔対義語:利己心
辞典では自己を犠牲にしても、他者の利益を図る、幸福を願うとあります。
真の利他は自己犠牲や自己否定から生じるのでなく、入力:自己観察 100=出力:自己受容 100の、心のエネルギーバランスが均衡している時にはじめてありのままの自分を理解し、愛し、受け入れる(自己受容)事ができるのであって、自己犠牲感や自己否定感を抱きながら他者受容することはできません。
ありのままの自分を愛し受容できるからこそ、ありのままに他者を見て、客観し、他者を理解して受け入れることができる、この自己受容というプロセスを経なければ、他者を理解し受容する利他的な心は育ちません。
入力:自己観察 100=出力:自己受容 100は入力:他者観察 100=出力:他者受容 100と表裏一体なのです。
木曽駒ヶ岳 なかま

前回、常日頃から自分自身の心を見つめ客観していく内観が、心の入力と出力バランスの崩れが起きていないかを気づかせ、修正しコントロールする原動力となると述べました。
理由は、内面(心)は自分自身にしか分からないため、自分が(我)というエゴを通し主観的に判断してしまうためです。
主観(自我)を通すことで偏狭な見方しかできず、自身の心の状態も質も判断する事が難しくなってしまいます。
このため、自己の内面(心)を観察・客観していくことが自身の心の状態や質、心のバランスを知る大切な要素となります。
心の入力と出力 |
入力:自己観察 | 出力:自己受容 |
入力>出力 自己否定 入力<出力 利己 |
自分の内面(心)をありのままに観察・客観することは、ありのままの自分を受け入れることになります。
この時、バランスのウェイトが入力に傾き(自己観察)、自己受容しないと自己否定感が強くなっていきます。(自虐的状態)
逆に出力のウェイトが大きくなり、自身のありのままを見ずに自己保存ばかりに囚われると利己的になっていきます。(我田引水)
心の入力と出力 |
入力:他者観察 | 出力:他者受容 |
入力>出力:批判 入力<出力:支配 |
他者をよく観察し客観することは、他者を理解し受容することになります。
この時、バランスのウェイトが入力に傾き(他者観察)、他者を受容しようとしないと他者に批判的になっていきます。
これは多くの人が抱いている心理作用でもあります。(頭の上の蝿を追え状態)
逆に出力のウェイトが大きくなると、他者を観察もせず理解しようともせずに他者を支配しようとする心理作用が働きだします。(唯我独尊状態)
”利他”とはどのような心理が原動力となって構築されているのでしょうか?
利他心・・・自分の利害はさておき、他人に利益となるよう図る心。↔対義語:利己心
辞典では自己を犠牲にしても、他者の利益を図る、幸福を願うとあります。
入力:自己観察 | 出力:自己受容 |
入力>出力 自己否定 |
真の利他は自己犠牲や自己否定から生じるのでなく、入力:自己観察 100=出力:自己受容 100の、心のエネルギーバランスが均衡している時にはじめてありのままの自分を理解し、愛し、受け入れる(自己受容)事ができるのであって、自己犠牲感や自己否定感を抱きながら他者受容することはできません。
ありのままの自分を愛し受容できるからこそ、ありのままに他者を見て、客観し、他者を理解して受け入れることができる、この自己受容というプロセスを経なければ、他者を理解し受容する利他的な心は育ちません。
入力:自己観察 100=出力:自己受容 100は入力:他者観察 100=出力:他者受容 100と表裏一体なのです。
木曽駒ヶ岳 なかま

相手を理解し受け入れるには、まずはありのままの自分を受け入れることなんでしょうか(^-^ゞ
心の入出力のバランスを均衡に保つのって難しそうですね~(-。-;)