天空の修験の稜線、立山三山・大日三山 2 浄土山から雄山へ
2019.10.27 Sunday
立山登山と言えば室堂から一の越経由で雄山往復という、立山信仰と登山がセットになった登り方が一般的だそうだが、登山目的の私たちは当然、登れる山は全て登りたかったので(室堂)→(浄土山 2,831m)→(一の越を経て)→立山三山(雄山3,003m 大汝山3,015m 富士ノ折立2,999m)→(真砂岳2,861m)→(別山2,874m)→(剣御前小屋を経て)→雷鳥荘<10/15 実歩行距離26,4km>を巡った。
立山開山縁起によると立山の開山は701年(大宝元)佐伯有頼とされ、今昔物語集には「日本国の人、罪を造りて多く此の立山の地獄に堕つと伝えりー」と記されているように平安時代、京の都の貴族や僧侶達にとって立山は地獄のある山と思われていた。京都から見て立山は北東(艮・鬼門)の方角に位置する霊山で火山ガスを今も噴き上げる「地獄谷」こそ「わが国の地獄」と考えられていたようだ。
剱岳も早くから神聖視されていた山である一方、切り立った針山のごとき「剱岳2,999m」は地獄の一部の山とされ、剱岳登山は厳しい山域だけに由らずその地獄観から以前は積極的には行われていなかった。剱岳、大日岳では平安初期の作である錫杖頭が発見されるなど古くから修験者が山中で修行をしていたことには間違いないようである。
立山信仰が隆盛にあった江戸時代には江戸や尾張などから多くの参拝者を集め、明治時代に入ると立山登山は信仰からアルピニズムへと変化していった。
浄土山から立山登山を始めた
浄土山2,831m
浄土山へ登り始めたAM10過ぎはまだ立山山頂部は雲隠れしていた
浄土山への途上、雲が切れ青空となって来た
jilya~nn 「立山」の御出まし
浄土山山頂より立山を臨む
龍王岳 2,872m
一の越へ
一ノ越山荘(今年の営業は既に終了)と龍王岳 2,872m
一の越からの室堂平 室堂から一の越へ登るのが一般的
一の越から雄山へガレ道を直登
雄山3,003m
ミクリガ池 室堂にある周囲600mほどの池で立山が水蒸気爆発した際にできた窪地に水が溜まって出来た
雄山山頂部
大汝山3,015m 富士ノ折立2,999m 真砂岳2,861m 別山2,874mへつづく稜線
別山から奥大日岳・大日岳への稜線
雄山山頂から 剱岳2,999m
雄山山頂から 槍ヶ岳3,180m
室堂平
黒部湖
爺ヶ岳2,669m 鹿島槍ヶ岳2,889m百