肌で感じる4・・・感性を磨く37

2016.12.28 Wednesday

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    幻肢、幻肢痛といって腕や脚を失った人が失った部位や臓器の存在を感じたりすることがあります。

     

     

    無いはずの腕を誰かに触られているような感じがしたり、無いはずの脚に痛みを感じたり、

    感覚は大脳の体性感覚野で感知しますが、幻肢痛などもこの大脳体性感覚野で感じます。

     

    痛みは皮下にある自由神経終末という受容器が痛みを感知し、脊髄から大脳皮質体性感覚野にインパルスをおくる事で感じられる仕組みです。

     

    なのに無い腕や脚がなぜ痛みや触覚を感じるのでしょう?

     

    有力な説が神経細胞の再配置という説で、切断部の神経細胞がその部位(失った腕、脚など)から刺激を伝えていた神経経路の仕事が無くなってしまうので、失った腕、脚以外から入る刺激(例えば顔や体幹など)の感覚に反応するようになり、その部位からの感覚(例えば顔や体幹など)を切断部の神経細胞が感知して失った腕、脚などの神経経路を使い脳の体性感覚野に伝えるため、あたかもそこに腕や脚があるような錯覚に陥るのが幻肢、幻肢痛となる説です。

     

    このように脳、神経系の回復力・復元力・代償作用には素晴らしいものがあります。

     

    また神経経路の共有といい、同じ神経経路を使う(運動神経、感覚神経、感情など)があります。

     

    「温覚」と「冷覚」は同じ神経経路を共有しますし、「苦み」と「嫌悪感」、「痛覚」と「心の痛み(心痛)」、「眼球運動」と「暗算能力」は同じ脳・神経回路(共有)を使うそうです。

    (脳・神経系の学術的論述の参考:脳と心のしくみ  池谷裕二著 新星出版社)

     

    今までに述べてきた様に、感覚器(皮膚感覚や五感など)からの情報は正確にそのものの刺激を脳に伝えているかと云えば錯視が良い例であるように((・・???ハテナ))ですし、

    皮膚が光や色を識別したり未だ解明されていない各感覚器の感覚能力や代償作用(ある感覚機能が失われると違う感覚器が鋭敏になったり、視覚障害者の方が内なる目で見る等)が生じたり、

    脳にある既存情報(概念、観念、信念、教育など)によっても勝手に純粋な感覚(感性)が変更されてしまう事すらあります。

     

    このように感覚器からの情報も誤認識や誤作動があったり、特殊能力もあるのだとすれば、

    私たちは普段からありのまま(真実)を感じていない可能性があると言うことなのでしょうか!?

     

    「確かなこと」、とはいったい何なのでしょう(?_?)

     

    北八ヶ岳の縞枯れと南アルプス山系

     

                              つづく